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巨額の中国マネー、カナダに流入 豪邸が爆買いされ、地元住民が取り残された

「中国マネー」が世界を駆けめぐり、局地的な不動産バブルを生んだ。一気に押し寄せ、急に引いていく巨大マネーの波に、地元住民は翻弄されている。その様をカナダ、オーストラリアで見た。
カナダ西部の都市バンクーバー。中心部から橋を渡った北側にあるウェストバンクーバーは、高級住宅地として知られる。
地元不動産業者のクラランス・ディベル(63)が、海を見下ろす高台をベンツでのぼりながら、案内してくれた。

 

「家売って」中国人団体の戸別訪問

「この家は2回、中国人に売った。あそこはイラン人の家だったが、中国人に売った。その向こうの家もそうだ」

売り出し中の邸宅を2軒見せてもらった。大理石を敷き詰めた玄関、巨大なワインセラー、シアタールーム、海を一望する南向きのベッドルームとバスルーム。

「世界一の眺望だ」

3階建て約1100平方メートルで、2400万~2700万カナダドル(約20億~23億円)だという。

ディベルは2008年のリーマン・ショックで大損した銀行を辞め、不動産業を始めた。知り合いの中国人に翻訳してもらった広告をネットに流すと、中国本土から問い合わせが相次いだ。「バンクーバーで中国人向けに不動産売買を始めた最初の白人として有名なんだ」

11年ごろからの「熱狂」を、ディベルは忘れられない。

20~30人の中国人の団体がバスで押し寄せ、一軒一軒チャイムを鳴らして「売りませんか?」とたずね歩いていたのだ。20億~30億円の物件をその場で買っていく。ローンではなく一括で支払った。16年ごろまで、高額物件が1週間に3~4軒売れた。「そのころは本当に一日も休みなく働いた」

オーナーが中国人だという建設中の邸宅を見せてもらった。玄関の大理石やリビングの家具、シャンデリアなどは欧州中を探し、イタリアから輸入した。建設費は8億円を超えるという。建設業者のユリ・モーガン(37)は「私たちに注文するような人は、お金のことを気にしない。200万ドル増えてもぜんぜん気にならないようだ」と話す。

中国人の「爆買い」で住宅価格は急上昇、16年までの10年間で2~3倍に跳ね上がった。スイスの金融大手UBSのグローバル不動産バブル指数で、バンクーバーは16年にトップになるなど上位の常連だ。

 

「自国通貨は信用しない、不動産が安心」

1997年の香港返還の前から、自由がなくなると考えた香港の人がバンクーバーに住宅を買い求めるようになった。2010年の冬季五輪で注目が集まり、中国本土からも殺到した。

バンクーバー不動産協会長のアシュリー・スミス(35)は「海と山に囲まれて住むところが限られるが、生活しやすく教育環境が良いことから、富裕層の中国人家族が住むようになった」と説明する。

日本から1994年に移り住んだ不動産業者のフレッド吉村(50)は「中国やイランなど中東の人は、自国通貨を信用していない。財産をパークする(置いておく)目的でバンクーバーの不動産を買っている」。上昇を続ける不動産は「安全資産」で、自国通貨で持っているより心配がないというわけだ。

だが、「中国マネー」による住宅バブルは変調をきたす。

きっかけは州政府が導入した税制だ。2016年、外国人が住宅を買った際に価格の15%(18年から20%)の税金を追加でかけるようにした。さらに、空き家や、父親が中国本土で働くなど所得税を納めていない世帯を対象に、州政府が年間で不動産評価額の2%、バンクーバー市が1%の税金をとるようになった。20億円の住宅を買った場合、購入のときに4億円を余計に支払い、数千万円を毎年納めなければならない。

当局が動いたのは「特に若い世代が住宅を買えない状況」(市の住宅政策を担当するエドナ・チョウ)だったからだ。

いま、中国人投資家に一時の勢いはない。住宅価格は下落に転じた。

それでも、地元住民が「住宅バブル」の蚊帳の外に置かれる状況は変わらない。超高額物件の価格は下がったが、中間層にも手が届きそうな物件は高止まりしたままだ。この10年ほどで5倍に値上がりしている住宅もあり、価格は1億円を超えるものが多い。

中国マネーは地球の反対側にも押し寄せていた。オーストラリアのシドニーでは、12年ごろから中国や香港の投資家が殺到し、住宅価格は年10%以上のペースで上昇した。

あおりをくったのは地元の人だ。住宅産業協会(HIA)ニューサウスウェールズ事務局長のデイビッド・ベアー(59)は「価格が急騰し、地元住民が初めて住宅を買おうと思っても、手が届く値段ではなくなった」と説明する。

不満は実力行使を引き起こした。住宅価格がピークに達した17年、中央銀行や大手金融機関が集まるシドニー中心部の「マーティンプレース」に、多くのテントが立ち並んだ。

代表で「マーティンプレースの市長」と呼ばれたランツ・プリースリー(74)は「9カ月もの間、家を買えない約800人がテントにこもって抗議したのだ。投資家たちは、住宅をカジノでギャンブルをするように扱っていた。ふつうの労働者の収入でシドニーの住宅はとても買える値段ではない」と振り返る。

政府は「バブル退治」に動いた。外国人による不動産取得への税率を引き上げ、銀行への指導を強めて住宅ローンの審査を厳しくした。00年のシドニー五輪から右肩上がりだった住宅価格は値下がりに転じ、17年のピークと比べ7%超の下落となった。

シドニー中心部から電車で40分ほどの街エッピング。駅周辺にはマンションが並び、中国人に人気のエリアだった。昨年末、駅前に建設中の高層マンションのモデルルームを訪れてみたが、客の姿はなかった。一気に押し寄せ、急に引いていく中国マネーに翻弄されたように見えた。

 

このバブル、始まりはどこに

いまの世界のバブルは、2008年のリーマン・ショックから始まった。

危機から脱するため、米国の中央銀行、連邦準備制度理事会(FRB)は、国債などの資産を買って大量のお金をばらまく「量的緩和」を3度にわたっておこなった。基軸通貨の米ドルが市場にあふれ、ドル安が進んだ。

中国はリーマン・ショック直後、景気の悪化を防ぐため、財政支出を4兆元増やした。当時の為替レートで約57兆円もの額だ。しかも人民元はドルと連動させていたので、ドルが増えるのにあわせて人民元を増やした。当然、ドル安に伴って人民元も安くなった。

もし中国が完全変動相場制をとっていれば、ドル安が進んでいたので、日本が急激な円高になったように人民元も高くなったはずだ。しかし、為替管理をしている中国は、通貨量を増やして人民元を安くした。年9%もの成長を遂げていたのにもかかわらず、財政出動と金融緩和を実行していたことになる。

つまり、景気の火が燃えているところに、油を注いでいたようなものだ。そんな状況で、バブルが生まれないはずはない。あふれた中国マネーは国内にとどまらず、世界を駆けめぐる。

そうしたときに人民元を持っていれば、インフレと通貨安で、価値が下がってしまう。お金持ちたちは、高値安定しているバンクーバーやシドニーの不動産などにお金を移した。その結果、世界の局地的なバブルにつながったのだ。

朝日新聞社

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200304-00010000-globeplus-int&p=1