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2012.11.01 マンション管理費見直しセンターのホームページを公開しました。

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「日本初のタワマン」が建てられた、超・意外な街とは?

人口減少の局面になり、厳しさが増す不動産投資。今後、どこが投資エリアとして有望なのか。不動産投資には欠かせない要素である「人口」や「不動産取引の現状」などをもとに、検討していく。今回紹介するのは、日本で最初にタワーマンションが誕生した街。「日本初のタワマン」は、いつ、どこにできた?

何かと話題になることの多い「タワーマンション」だが、その呼称に法的な基準はなく、階数による定義もない。しかし建築基準法や消防法で、31m、60mと、建物の高さで基準が異なり、このうち高さ60m以上の建物が超高層建築物とする考え方が広まっていることから、高さ60m以上、階数にすると20階以上のマンションをタワーマンションと呼ぶことが多いようだ。

このタワーマンションだが、高層階からの眺望やハイスペックな施設・サービスによって近年人気となったが、一方で、昨年の台風被害により、災害時の危うさがクローズアップされている。

メリット、デメリットを顧みて、それを良しとするかどうかは、選ぶ人の価値観によるものだが、ところで、日本で初めてタワーマンションは、いつ、どこにできたか、ご存じだろうか。

諸説あるが、まず1971年に東京都港区三田にできた「三田綱町パークマンション」。しかし高さ52m、19階建てのツインタワーであることから、「タワマン」ではなく「高層マンション」の先駆けとして語られることが多い。前述のタワーマンションの定義による、日本第1号のタワーマンションが誕生したのは、埼玉県さいたま市。旧与野市に1976年に誕生した「与野ハウス」である。高さ66m、21階建て、総戸数463戸の大規模マンションだ。

最寄り駅でいうと、JR埼京線「北与野」駅。昨今は東京都心の再開発地区や臨海部に建てられることの多いタワーマンションだが、黎明期である1970年代は状況が異なる。当時は、日照権や敷地面積確保などの課題により、都心部にタワーマンションを建てるにはハードルが高かった。「与野ハウス」ができた当時、周辺にある建物といえば、戸建てや数階建てのアパートくらいで、隣駅のさいたま新都心の高層ビル群もなかった。

1997年、建築基準法の改正で共用部分が容積率算出上の延床面積に算入されなくなったことや日影規制の緩和などにより、人口集積地域にもタワーマンションの建設が可能になった。今日では、駅前の再開発といえば、まずはタワーマンションというくらい、いたるところで建てられている。地域のランドマークになりやすいことからも、今後も都心ばかりでなく、郊外でもタワーマンションは増えていくだろう。

そんなタワーマンション第1号が誕生した、さいたま市中央区、旧与野市は、どのような街で、どのような可能性を秘めたエリアなのか、不動産投資の観点で見ていこう。

 

新都心の街開きで、開発の中心は「北与野」へ

与野市は、2001年、大宮市と浦和市と合併し、さいたま市が誕生するまで、埼玉県南部に存在していた市だ。旧与野市の市域は、現在、さいたま市中央区となっている。

収穫が不安定で租税を賦課できない土地である「余野」から転訛したとか、ヨは「ものの間」のことで「台地と台地の間の野」という地名から転じたなど、与野の由来には諸説あるが、与野が歴史に初めて表れたのは1314年と意外に古い。平安時代後期に浄土教の宗派である融通念仏宗をおこした良忍の事績などを描いた絵巻物『融通念佛縁起絵巻』に、「与野郷」という記述が登場する。室町時代には市場が開かれ、江戸時代には甲州街道と奥州街道を結ぶ脇往還(五街道以外の主要な街道)の町場として栄えた。当時の地誌『新編武蔵風土記稿』には、与野の戸数を304、浦和を208、大宮を200余りと記している。

しかし明治時代に高崎線、東北線が開通し、1912年に「与野」駅が開設されると、商業の中心は、市が開かれていた本町通り周辺から東部地区に移っていった(ちなみに「与野」駅は現さいたま市浦和区北部にあたる旧木崎村と旧与野町の境に設置され、住所は“与野”ではない)。

1958年には、単独で市制を施行し、県下20番目の市となり、1985年、埼京線の開通により、市内に「北与野」駅、「与野本町」駅、「南与野」駅の3駅が新設された。

「北与野」駅は、2000年に街開きとなったさいたま新都心の西側にあたり、「さいたま新都心」駅とは、ペデストリアンデッキ「北与野デッキ」でつながっている。また駅周辺では高層マンションの建設が進み、駅利用者も増加傾向にある。「与野本町」は江戸時代に賑わった与野宿に近い駅であり、さいたま市中央区役所が置かれたり、「彩の国さいたま芸術劇場」が建設されたりと、行政・公共施設の集積が見られる。「南与野」は埼玉大学に向かうバス便により、3駅のなかで乗降客は一番多いが、駅周辺には商業の集積はなく、空き地も目立つ。まだまだ発展途上といった雰囲気である。

 

旧与野市埼京線沿い3駅…ポテンシャルが高い駅は?

不動産投資の観点で与野を見ていこう。まずは、地域の人口と世帯構成(図表1)だが、さいたま市中央区の人口は10万人強で、埼京線3駅周辺には1万人前後が居住する。また1世帯当たりの人数は、2人強とファミリー層と単身者層が混在するエリアである。3駅周辺に限ると、人口構造の目立った差異は見られない。

続いて、中古マンションの次に中古マンションの平均取引価格(図表2)と、その種類(図表3)を見ていこう。さいたま市中央区の平均取引価格は3239万円で、3部屋以上のファミリー物件が8割を超える。また駅周辺に限ると、さいたま新都心の第2の玄関口としても機能する「北与野」は、平均取引価格、平米単価ともに、中央区平均を上回った。新都心に近いという利便性から、プレミアム感が出ていると推測される。

一方で、「与野本町」「南与野」の取引物件数は少なく、今回の分析では、2駅周辺の物件を足しても、「北与野」周辺の物件数を下回った。3駅いずれかのエリアで不動産投資を考えるのなら、まずは「北与野」が選択肢になるだろう。

今後の不動産投資の可能性はどうか。将来の人口増加の予測から見てみよう。黄色~橙で10%以上、緑~黄緑0~10%の人口増加率を表し、青系色で人口減少を表す将来人口推移のメッシュ分析(図表4)では、3駅周辺では現状維持から微増と予想。特に「北与野」周辺は、ほか2駅よりも高い人口増加が見込まれている。

さいたま市中央区の借家率は45%で、ファミリー物件の取引が活発なエリアだ。埼京線沿い3駅に限ると、今後も安定的な人口増加も見込める。家族層のニーズをつかむことで、長期的に安定した不動産経営が実現するエリアだといえるだろう。

浸水、洪水、地震…与野周辺の災害リスクは?

日本で初めてのタワーマンションが誕生した与野。タワーマンションといえば、昨今は、災害でクローズアップされたが、与野周辺の災害リスクはどうなっているのだろうか。ハザードマップを確認してみよう。

浸水(内水)のハザードマップを見てみると、南北に流れる鴻沼川、高沼用水路沿いを中心に、50センチ以上の浸水域が点在する。また洪水のハザードマップを見てみると、注意すべきは鴻沼川。1998年の台風5号では流域で多くの浸水被害をもたらした。このとき旧与野市では災害救助法が適用されている。

また地震のリスクはどうだろう。まず国立研究開発法人防災科学技術研究所の「J-SHIS地震ハザードステーション」で地盤を見てみると、さいたま市中央区一は、火山灰質の粘土であるローム台地に分類され、比較的安定したエリアだといえる。

しかし、表層地盤増幅率(地表面近くに堆積した地層の地震時の揺れの大きさを数値化したもので、1.6以上は地盤が弱く揺れやすい、2.0以上は特に揺れやすいと評価される)を見てみると、多くが1.6~1.8と、揺れやすい地域という結果に。そのなかでも、「与野本町」の南西、上峰あたりは1.55~1.59と、エリアのなかでは揺れにくい地盤であることがわかった。

地震の被害は、揺れによる建物被害だけではない。不動産投資家であれば、地盤の液状化はしっかりと想定しておきたい。さいたま市の地震の防災マップを見てみると、鴻沼川流域は、液状化の危険が高いとされている地域。物件選びの際には、心得ておこう。

GGO編集部

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200117-00025045-gonline-bus_all&p=1